本文
義農作兵衛は、松山藩筒井村(現松前町筒井)の貧しい農家に生まれました。当時は、儒教思想に基づく家族制度と、士農工商という厳しい身分制度が確立された封建時代で、作兵衛は、幼い頃から農業に励みました。
享保の大飢饉の時、人々は食べる物もなく、餓死者が続出しました。こうした中で、作兵衛は、毎日休むことなく耕作に精励していましたが、遂に飢えのため、田んぼに昏倒してしまいました。
近隣の者が、「命に代えられぬでの、その麦種を食べてはどうか。」と勧めましたが、作兵衛は「農は国の本、種子は農の基。一粒の種子が来年には百粒にも千粒にもなる。僅かの日生きる自分が食してしまって、どうして来年の種子ができるか。身を犠牲にして幾百人の命を救うことができたら私の本望である。」と言い、麦種一粒食することなく、後世に残し、大義に死にました。
安永6 年、尊い彼の死に対し、藩主松平定静は、碑を建立し、明治14 年には義農神社、そして、大正2年には頌徳碑が建立されました。このように、義農作兵衛の精神は「義農精神」として、今日も脈々と受け継がれています。
令和3年度に義農大賞表彰制度を創設し、令和4年度に第1回となる義農大賞表彰式を開催しました。義農大賞は、義農作兵衛の顕彰と町の全国的知名度の向上を目指し創設した表彰制度で、全国から他者を思いやる心・義農精神を持ち活動を行っている個人・団体を募集し、その功績を表彰するものです。
義農大賞特設サイトはコチラから → 義農大賞特設サイト<外部リンク>
義農作兵衛のアニメーション作品はこちらから → 「まさき動画コーナー」
毎年4月23日に、作兵衛翁の遺徳をしのび、「義農精神」を後世に受け継ぐため、式典が行われるほか、会場では、町内外の生産者の野菜や果物等の販売、義農祭でしか販売されない義農まんじゅうなど、たくさんのお店が出店されます。
また、子どもたちによる義農太鼓や伊予万歳などの伝統芸能が披露されるなど、義農精神を広く伝える大切な祭です。
昭和28年12月25日に愛媛県の指定史跡に指定された史跡です。
社会のため、人のために尽くすという義農精神を太鼓の心として、豊かでたくましい松前人を目指し、松前小学校児童の手から手へと継承されています。(昭和56年発足)
大正2年、頌徳碑建立と義農精神発揚のため組織された「義農会」により建立されました。見返り石には、元内務大臣、平田東助の詩が刻まれています。
毎年4月23日に行われている義農祭は、義農作兵衛の行いに感謝し、その功績を後世に広く受け継ぐために行われています。義農作兵衛さんの生き方をみんなで学んでほしいと思います。次の3つの資料を見て、作兵衛さんのことを勉強してみませんか。