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松山領伊予郡絵図

印刷ページ表示 更新日:2020年11月9日更新

説明

 「松山領伊予郡絵図」は、令和元年9月、松前町の民家で発見されました。

 絵図は、縦147cm×横158cmあり、ほぼ正方形の形をしています。残念ながら、作成年月日は記載されていません。

 松山藩領伊予郡の絵図は、これまで伊予史談会文庫所蔵のものが知られているが、伊予史談会文庫所蔵のものとは違い、新出の絵図では、海岸に近い浜村が島のように堀(水路)で囲まれています。これは、十七世紀成立の伊予一国絵図の書き方に似ており、新出の伊予郡絵図が、江戸時代でも比較的早い十八世紀前半ころまでの絵図ではないかと考えられます。

 新出の伊予郡絵図には、神崎村の「新王宮」の文字の下に「元禄十一戌寅八月ニ東向ニ建ル」と付記されていることから、元禄十一(1698)年以降に絵図が作成されたことがわかります。

 また、記載されている村名、寺院名や神社名などから、1700年前後に作成されたものであると推測されます。

松山領伊予郡絵図