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雨乞い踊り

印刷ページ表示 更新日:2018年10月10日更新

雨乞い踊りの画像

水神を怒らす

 松前地区の雨乞いは、参籠・踊りも行われたのでしょうが、大かんばつには、水神に汚れたもの、嫌いなものをかけ、怒らせ、あばれて雨を降らせてもらう方法がとられました。いわゆる「御面雨乞い」行事です。
御面雨乞いは、藩政時代、現重信町の野田・牛渕の両三嶋宮(徳威三嶋宮・浮嶋神社)と松前町浜との間で、行われました。

58kmもの行程

 大かんばつになると、三嶋宮では2夜3日の祭典を行い、宮司は潔斎して切火を用い、降雨を祈り、4日目の辰の刻(午前8時)神面を奉じて松前に向かうのです。松前の浜に着くと「御面」を仮宮に安置し、潮水を汲んで再び2夜3日の祭祀を行います。最後の6日目には松前のおたたさんも加わり、「御本城御用」の赤絹ののぼりを先頭に、「面」と松前の海で汲んだ「潮水」を奉持して河之内雨瀧三嶋宮へ向かうのです。雨瀧に着くと「御面映」の行事を厳修し、翌、午前12時すべての行事が終了します。おたたさんにとって往復約58Kmの道を直射日光を浴びながら、蓑(みの)を着け、潮水をいただき、「雨をたもれ」と唱えながら身振りをつけて歩くのは容易ではありません。

由緒深いお面

 御面は、推古天皇21年(613)8月15日、乎智益躬(おちのますみ)が大三島大明神を祈願し、舞楽を奉納した時、海上に小船が出現、しらべてみたところ舟中に人なく、3個の古面が置かれていました。乎智益躬は奉納舞楽の賜と大変喜び、宇城名郷久米部王楯明宮に奉仕しました。その後、兵火を避けて河之内山中にうつし、さらに雨瀧三嶋宮にうつし、享保17年(1732)5月、寺社奉行の命により、野田・牛渕両三嶋宮に隔年遷座するようになった由緒深い古面です。

お面の画像