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墨水学校跡と荒神堂(子育て地蔵)

印刷ページ表示 更新日:2018年10月10日更新

墨水学校跡と荒神堂の画像
(墨水学校跡と荒神堂)

「学制」とともに誕生した墨水学校

 明治5(1872)年太政官布告として「学制」が公布され、学校が設置されるようになりました。松前においても、明治6年(1873)11月に墨水学校が開設されました。これが町内最初の学校で、その分校が岡田・北伊予・松前校区に次々と設置されたのです。

悲しく、美しい「子育地蔵物語」

 尊墨水学校跡碑の東隣りに荒神堂があります。その中に、子育地蔵尊が祀られています。なぜ、子育地蔵と尊称するのか不明でしたが、昭和63年(1988)の大修理の時、判明しました。解体したご尊体の中に入っていた戒名(真月映照信女)より推察して、施主が、若くして愛児を遺して逝った妻の供養と子供の健やかな成長を願って、名のある仏師に作成をたのみ、仏師が心魂をこめて彫った仏像と推測できます。そして、哀愁のロマンを秘めたお顔、優しさをもつ尊像は、まさに名作といえるものです。古老の話によると「隅田川(別名泉川)で、子供が一人で泳いでいると、いつの間にか二人に見えた。これは子育地蔵さんが子供一人では危ないと思われて、一緒に泳いでくれたのだろう。子供は泳ぎ終わると一人で帰っていた。」とのことです。

子育地蔵尊の画像←子育地蔵尊