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五松庵跡

印刷ページ表示 更新日:2018年10月10日更新

五松庵跡の画像

五松庵と荒神

 慶長16年(1611)、現在の上高柳老人憩の家の前に、荒神庵が建てられたそうです荒神は、三宝荒神の略称で、仏・法・僧の守護神です。三面六臂(三つの顔六つの手)を持ち、忿怒の相をしています。不浄を嫌うことから「かまどの神」ともいわれ、「だいどころの神」、「農業全般の神」となってほとんどの家に祀られていました。さらに、荒神庵の庭には老松が5本天高くそびえていたので「五松庵」ともよばれていました。

村井俊明の偉業

 ここで近在の子弟は、読み・書き・そろばんを習いました。初代師匠は武智五友、ついで村井俊明がその後をうけました。俊明は年若く、才深く、温容で、かつ威厳を備えていたので、子弟からも村民からも尊敬されていました、墨水小学校が建てられたので、この地を去り、松山中学校の教師となりました。この通称「五松庵」といわれた上高柳荒神庵は、もとは大間教深寺持ちの庵で、間口約6.4・、奥行約3.6・、境内、庵田併せて約1反6畝(約1,600・)を有する庵でした。耕地整理のときに荒神庵はこわされ、荒神様は、上高柳集会所に子育て地蔵とともに祀られました。昭和52年(1977)上高柳集会所を他の場所に新築し、旧集会所はとりこわし、その跡に、荒神庵と地蔵庵を合祀した荒神堂を新築して、双方を祀っています。


往時の五松庵付近図の画像←往時の五松庵付近図(右上の松の付近)