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瀧姫伝説

印刷ページ表示 更新日:2018年10月10日更新

瀧姫伝説の画像

 永承年間(1046~1052)、京都の公卿清原朝臣の妹、御多喜津姫(瀧姫)が身分違いの愛を遂げようとして罪に問われ、侍女3名と伊予の国に流刑となり、松前の浜に漂着しました。漂着した瀧姫たちの身の上話を聞いて、人情厚い松前の人々は、いたく同情して、親切丁寧に世話をしました。瀧姫らも温かい松前の人々の人情に心動かされ、この地を永住の地と定め、自活の道を魚の行商に求めたと伝えられています。瀧姫は、平元結に銀のかんざし、どんすの帯を前結びにし、黒羽二重の紋服に裾をからげ、桶を頭上にいただいて、松前、松山城下を「魚いらんかえ-」と売魚婦となって売り歩きました。瀧姫の死後、松前の婦女子は、瀧姫と同じ服装をして魚を売り歩くようになりました。これが「おたた」の始まりといわれています。

 

 

 

瀧姫神社の画像