本文
出作遺跡
印刷ページ表示
更新日:2018年10月10日更新
出作遺跡とそのマツリ
出作遺跡は、昭和52年(1977)にほ場整備事業の工事中に発見され、これを契機に推定地域の一部で発掘調査が実施されました。その結果次のようなことが分かりました。調査の結果古墳時代中期(約1,600年前)の西日本を代表する大規模な祭祀遺跡であること。遺跡は、重信川によって形成された沖積平野の標高15m前後の氾濫原に立地している。遺跡の範囲は東西約1.0km南北約0.3kmと東西に長く広い範囲が推定されるが、発掘が実施されたのは、大字出作478-1番地~同481番地周辺約3,000m2である。調査区の中央を東西に併走する流路(SdolとSdo2)と、流路に囲まれた祭祀遺構(Sx01やSxo3)や、竪穴式住居(Sb01)をはじめ多数の焚火跡が発見された。
遺跡の特徴
- 古墳時代中期(約1,600年前)の西日本を代表する大規模な祭祀遺跡であること。
- 祭祀遺構Sx01は全長9m、幅4mの範囲に須恵器や土師器をはじめ祭祀を特徴づけるミニチュア土器や石製模造品(勾玉・剣形・円板・臼玉・未製品)、さらには鉄製の農工具や斧のミニチュアのほか、鉄蹄(鉄素材)・屑鉄片などの膨大な遺物が累々と供献されていた。
- 出土遺物の中には、伊予市周辺で焼かれた須恵器が供献されていること。
- 石製模造品や鉄製品の中に未製品が多く含まれていることである。
果たしてこのように大規模な祭祀を、いったい誰が何の目的で挙行したのでしょうか。いずれにしても出作遭跡の祭祀はその規模から、単に松前町域に留まらず松山平野全域を対象として挙行された祭祀跡であったと考えられます。