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矢野地蔵と筒井門の礎石
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更新日:2018年10月10日更新
(昭和44年町史跡指定)
矢野某の圧死
関ケ原の戦いで戦功のあった松前城主加藤嘉明が、勝山(松山市内)に城を築く時、松前城の石材・櫓・筒井門の解体されたものが利用されました。松前城筒井門の解体は、家臣矢野某が指揮をしていましたが、門の棟木をつり降ろしている時、綱が切れて矢野某の頭に落ち、棟木の下敷きになり圧死しました。
亡霊と地蔵
以後、夜間筒井門跡を通行する者は、必ず「だれか」と大喝されて病いとなるので、村人から恐れられ、時の大智院住職順諦和尚が大いに憂い、慶長11年(1606)に残された筒井門跡の礎石の上に、矢野某を供養するため地蔵尊を安置し、大施餓鬼を営んだのです。それ以来怪事はなくなり、村人は安心しました。筒井門の礎石の一つは、矢野地蔵のやや東の町道にあり、礎石は花こう岩の自然石で、上面は平たく、ほぼ円形をしており、直径約1m余りにもなります。