ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

金蓮寺

印刷ページ表示 更新日:2018年10月10日更新

金蓮寺本堂の画像
(伊予十二薬師第9番金蓮寺本堂)

天皇のご祈願道場

 古くは性尋寺(定善寺)と言います。大同3年(808)河野氏によって開創され、天安元年(857)宗祖弘法大師の法孫明実が入って寺の基礎が確立されました。貞観元年(859)には、玉生八幡神社の大別当に任ぜられました。さらに、貞応元年(1222)中国の僧明海が渡来し、寛喜3年(1231)中興開基して性尋寺と号しました。同年、御堀河天皇のご病気の時、弘法大師自筆の千手観音を修法したところ、たちまち病気が全快せられたので、以来、天皇のご祈願道場となりました。上記千手観音のことは、天皇の勅命を伝える(口宣)写しが玉生八幡大神社の「寺院取調書」に記されています。文禄4年(1595)加藤嘉明は松前城築城のため、金蓮寺を当地に移しました。

「大事(おおごと)金蓮寺」の伝え

 この地方では、大変な出来事がある時、「大事金蓮寺」という習慣があります。このことは、金蓮寺由緒書に「太平記にいわゆる大森彦七猿楽をしていろいろ怪事あり、楠木正成・源義経等の亡霊が出たというのはこの寺である。」とあります。(太平記巻第23に「大森彦七が事」とある。) 一般には矢取川伝説としてよく知られています。さらに、義農作兵衛の菩提寺であり、過去帳に記載され、供養しています。また、本堂は、昭和50年(1975)に再建されました。現在南が正面であるが、元は東向きであったということです。

祈願道場の碑の画像←明海上人の祈願道場の碑