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松前港と天保山

印刷ページ表示 更新日:2018年10月10日更新

瀧姫神社の画像

良港から軍港へ

 中世から近世にかけて、関西随一の良港といわれた松前港は、加藤嘉明の命で、足立重信が軍港として、整備改修しました。慶長2年(1597)2月、嘉明はここから2400の兵を率いて朝鮮に出兵しました。江戸時代には、参勤交代の御座船の水主浦(かこのうら)「大阪上げ米」の津出し(つだし)港として賑わいました。藩主から「漁業上の特権」を与えられて以来、松前浦衆たちは男は海へ、女は「おたた」行商に励み、勢力を誇ってきました。

瀧姫とおたた

 この天保山旧港の埠頭は、砂州の上に、海底の土砂をさらい積み上げた丘で、黒松を植えつけ、港の目標となっていました。埠頭には、漁師の守護神として、南から瀧姫神社・厄除社・龍王社3社があります。
瀧姫神社に祀られているお瀧姫は3人の侍女とともに松前の浜に漂着し、生活のため、魚行商の道を求めたと信じられています。松前地区では、お瀧姫が「おたた」の祖であり、「おたき」が「おたた」に転訛したと堅く信じてきました。お瀧姫を神として祀り、行商の安全と繁栄を祈願してきたのです。天保山は藩政時代から続いた「御面(おめん)雨乞い」道中(川内町雨滝さんまで)の出発地点です。神社前での御用桶を頭上に舞う「おたた雨乞い踊り」は特に有名でした。