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四ツ黒大権現

印刷ページ表示 更新日:2018年10月10日更新

四ツ黒大権現の画像

瀧姫伝説

 京都の公家の息女瀧姫が、侍女三人と阿波へ渡ろうとして、嵐に会い松前の浜へ漂着しました。姫らは浜を永住の地と定め、自ら読み書きを教え、魚を行商して数十年生活が続いたが、姫・侍女ら五十余歳を前後に、相ついで病死したそうです。浜の人々はその死を哀れみ、東古泉の地に、四つの塚をつくり手厚く葬りました。「四つ黒」という小字の地名は、この四つの塚に由来します。

瀧姫から「おたた」へ

 江戸中頃の安永年間(1772~1780)に至り、この地に新田を開いた十数戸の人々は、四か所の塚の遺骸を一か所に合葬し、「四ツ黒権現社」を創設して、鎮守社としました。松前町浜の女性の、戦前までみられた行商姿は、瀧姫のあでやかな行商姿をまねた斬新な服装で、松前ならではの風俗でした。なお、松前の行商する婦女子を「おたた」というが、これはお瀧姫の「おたき」の転訛したものだとされます。
瀧姫位碑の画像←義農神社の瀧姫堂にある瀧姫位碑