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かんざき塾:私たちの水はどこから

印刷ページ表示 更新日:2024年9月24日更新

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発行:author-1 〒791-3161 愛媛県伊予郡松前町大字神崎210番地


平成25年度 「第3回かんざき塾」 私たちの水はどこから

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明和の水論
面河からの道後用水
赤坂泉と夫婦泉


明和の水論

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麻生地区の水争い

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・古樋(こび)井手~上麻生村(大洲領)、下麻生村(新谷領)の灌漑用水
・一の井手~南神崎村(宮ノ下村・上野村=大洲領・天領)、八倉村(大洲領)、徳丸村(松山領)、出作村(松山領)の5か村の灌漑用水
・両者の井手(用水路)の間隔は2~3間と僅か
・南方の古樋井手が八倉の中ほどから北の折れ一の井手の上を通過するが、この通過するところは懸樋で用水が通るようにしている。
・ もし、古樋井手の堰門を堰きとめると下5か村は困窮し、水論が絶え間なく起こった。

水争いのおこり

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・元禄16(1703)年の夏、5か村の農民が多数押し寄せ古樋懸樋の一部を切り落とし、流水を一の井手へ落とした。このことで麻生農民との水あらそいが起こる。
・ 享保9年(1724)年、両者が定法締結し、一時平穏
・ 宝暦11(1761)年、宮ノ下・上野村が天領となる。5か村農民が定法を破り古樋井手を引き落とし、麻生村に乱入し、水論(水争い)が起こる。

明和の水争い

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・明和8(1771)年の大干ばつに端を発した水論。関係農民の間に流血の惨事を招く大騒動
・5か村の農民700人が古樋井手を切り落としたため、麻生勢200余名が一の井手を横に堰き上げ、水を残らず古樋井手へ堰き入れた。この乱闘で2名の死者と多数の重傷者を出した。
・天領から死者が出たので大洲藩は公式に幕府に届け出た。関係者は備中(倉敷・笠岡)で裁定
・両麻生村の者は加害者扱いで牢舎に繋がれた。審理の途中で、下麻生村組頭 兵右衛門が発議者であると名乗り出、兵右衛門は死罪、その他は村追放、科料等で決着した。
・徳丸・出作村は人数割りで過料という軽い処分​

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赤坂泉と夫婦泉

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赤坂泉の開設
・明和水論(明和8=1771年)後、間もないころ麻生村の赤坂泉開鑿(さく)が問題となった。
・安永3(1774)年釣吉村庄屋 阿部万左衛門が任に当たり全精力を傾注して、天明元(1781)年に10か年近くの歳月を費やして完成した。
・赤坂泉開設により、一の井手はこの用水を導入し長年にわたる確執の禍根は絶たれ、水論も解消された。

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夫婦泉の開設

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・夫婦泉は北・南両泉とも森松村に徳丸村が開鑿した泉。北泉は享保9(1724)年、南泉は宝暦7(1757)年に開鑿された湧水泉
・享保9年の大干ばつが開鑿の契機
・徳丸庄屋 安永孫四郎の尽力による。
・新泉の開鑿には、森松・井門両村が反対したが徳丸村が御前米を献上していることが代官を動かし、両村の庄屋を説得し、新泉(南泉)開鑿に成功した。

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暗キョウ埋設之碑と水野廣徳(ひろのり)
碑文によると
徳丸は地味肥沃だが水利に恵まれず、江戸時代から森松に2つの泉(夫婦泉)を設け、重信川河床を横切り横堀して用水を得ていた。
明治維新以後、暗キョウ埋設は悲願であった。大正時代、関係者の尽力で重信川河床に鉄筋コンクリート製の暗キョウが、昭和3年6月埋設された。
この碑文の撰者は、松山出身の軍人「この一戦」の著者 水野廣徳である。
氏は徳丸に縁あって、この碑文を撰せられた。

面河からの道後用水

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神崎地区の主な用水路

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神崎地区の泉・池

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消えた泉

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私たちのやすらぎの公園 清水が湧く 福徳泉

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消えゆく泉

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かけがえのない湧き水の泉

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豊かな湧き水に恵まれた 私たちのふるさと「神崎」。先人が残してくれた貴重な自然遺産である「泉」。貴重な遺産として、代々 先人の努力で大切に受け継がれてきた。
しかし、現在 地下水の低下などで危機が迫っている。
かけがえのない泉をいかにして後世まで守り継ぐか、真の環境保全対策が必要である。古里の未来のために!


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