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発行: 〒791-3161 愛媛県伊予郡松前町大字神崎210番地
現松前町の北伊予校区の最西端に位置し、松前校区・岡田校区とも接する地域で最も新しい新田村であり、幹線道路がこの地区を東西に通っている。極楽(ごくらく)・恵竃(えがま)・上又(うわまた)・神取(かんどり)(小字)などの上組と、四ツ黒(よつぐろ)・中萱(なかかや)田(だ)(小字)などの下組で構成されている。氏神は素鵞神社である。現在秋祭りの子どもたちによる高張提灯(ちょうちん)も上・下地区に分けて行列を行っている。
東古泉の世帯数は昭和三〇年頃は八〇戸で、現在は一八〇戸となり大幅に増加している。その原因として、松山市と伊予鉄道郡中線、国道五六号など交通の利便性により、転入者が多かったことが考えられる。また地区の人口は三九〇人から四九〇人と一〇〇人増加しているだけであることを考えると、新宅などが多く核家族化が進んだものと思われる。
東古泉地区(明治36年測図)
幹線道路(往環)沿いの家並みの移り変わりについて、森下富子さん(大正一四生)、早瀬辰郎さん(昭和三生)に聞いた。
当地区は旧松前町に近かったこと、人口が少なかったこともあって商店は少なく、昭和三〇年頃あった唯一の酒・日用雑貨商店は、明治時代に散髪屋も兼ねた商店として開業し一一〇年続いたものである。酒、塩の専売品は配達が非常に多く、また、煙草(たばこ)は松前町内で一番の売上げを達成した時もあった。正月二日初売りの日には、早い者順にアメ玉をくれるので子ども達が大勢集まっていた。砂糖、豆腐(とうふ)、コンニャク、駄菓子、下駄、樒(しきみ)など生活用品も扱っており重宝な店であった。地区住民の多くが利用し住民の寄場(よりば)、世間話の場となって大いに賑わっていた。しかし、松前町、伊予市にスーパーマーケットの出店が相次ぎ、地区住民に惜しまれつつ平成一九年に店を閉じた。店主は「いい時期に店を閉めたものだ」と話している。現在は民家の並ぶ地域となっている。平成二五年になって幹線道路沿いに、二階建アパート(八世帯、駐車場一六台)が建設され入居している。また大型ショッピングセンター「エミフルMasaki」(以下「エミフル」という)に隣接する大地窪(おじのくぼ)(小字)にもアパート(八室)が完成しており、当地区は大きく変化している。
「エミフルMasaki」の概要図
東古泉にとって昭和三〇年頃の大きい変化は、何といっても五反地(ごたんじ)(小字)に簡易上水道設備を設置したことである。それまで各家庭では川の岸に「くみじ」を作り、そこで食器や野菜を洗っていた。汲み上げポンプや井戸水は水質が悪く、特にかなけ水(鉄分が多い)のために、柳の根・棕櫚(しゅろ)・砂・木炭などを入れた漉桶(こしおけ)で濾過(ろか)して使っていた。洗濯、風呂、炊事などは川の水を使っていたが、『松前町誌』によると、伝染病予防の見地からも良くないので、配水塔築造、配水管敷設による給水を計画し、工事費二〇〇万円で、昭和二九(一九五四)年一一月着工、翌三〇年二月竣工、東古泉・原田地区五二五人一日一人平均給水量八〇リットルの給水を実施した。
また、現在は運行されていないが、昭和三〇年代中頃には商店前のバス停留所を一日五便の松山行き、東レ人繊門前行きのバスが通っており、多くの人が利用していた。一方、通学は徒歩で、片道二・五キロメートルの砂利道をゴム草履(ぞうり)や下駄で通い雨の日には特に苦労した。幹線道路沿いには二本の小川が流れており、大雨の時にはよく氾濫(はんらん)していたものであるが、魚も多く、ドンコ・ドジョウ・フナ・シジミや川蟹(かに)などもよく獲(と)れていた。
東古泉には国道五六号が通っている。松山市から南予地域や高知に至る重要路線である。交通量の増加に対処するため、松山市済美高校前から伊予市市場に至る国道バイパスの工事が始まり、東古泉地区においても昭和四〇年頃から地権者との交渉に入った。田んぼのど真ん中に国道が通るので、当時の地権者である農家の人は土地への愛着が非常に強いため、交渉も難航したそうである。昭和四七年出合大橋の完成と同時に供用を開始した。次いで昭和五四年四月旧国道五六号のうち松山市、伊予市間は県道「松山松前伊予線」となった。松山からタクシーで松前へ帰る時には「バイパスですか、五六号ですか」と聞かれたものである。この新しい五六号は完成当時は二車線であったが昭和五八年の出合大橋を皮切りに伊予市方面へ順次、西側を拡幅(かくふく)して四車線となり信号機も設置された。
また、周辺道路の整備も行われて立地条件も整い、平成二〇年四月「エミフル」がオープンした。敷地面積は約二〇万平方メートルで、うち約六万八千平方メートルが東古泉の源助分(げんすけぶ)・文五郎分(ぶんごろうぶ)・登(のぼ)り内・東浦(ひがしうら)(小字)である。
幹線道路である一般県道「八倉松前線」は、「エミフル」のオープンと県道バイパス(伊予神社の南)により大型車両の通行が可能になったため交通量が激増し、度々渋滞となっている。また、地区民は、交通量の激増を憂慮(ゆうりょ)し、通学道路として利用している子どもたちに事故の無いことを願っている。
当地区は幹線道路の改修と「エミフル」の開設で北伊予地区のうち最も大きく変貌(へんぼう)した地区となった。東古泉地区の今後の移り変わりは予測がつかない。
「エミフルMasaki」と国道56号
県道八倉松前線の渋滞(東古泉地区)
昭和30年頃の家並み
平成25年の家並み
PDF版ダウンロード H26-北伊予の傳承12 [PDFファイル/9.43MB]