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発行: 〒791-3161 愛媛県伊予郡松前町大字神崎210番地
松前町の南西に位置し、鶴吉・大溝・伊予市に接する農村地帯である。地区の南にはJR予讃線が通り、昭和三六年に伊予横田駅が開設された。開設当時、一日の発着本数が上下合わせて数本に過ぎず、増便について交渉した結果、現在のように普通列車は総(すべ)て停車し利用者は増加した。
横田は、大谷川の北が北組、南が南組と村組に分かれ、世帯数(昭和三五年国勢調査)は六七戸、人口三四〇人である。永田から伊予市に繋(つな)がる県道「砥部伊予松山線」が大谷川と直交して南北に走っている。この県道沿いには、昭和四四年鉄工所、平成四年伊予地区カントリーエレベーター(=米麦の大規模調整貯蓄施設)が建設された。
大谷川は横田中央部を流れて水田地帯の水源となり、流下して伊予灘に達する。川幅が二メートルから四メートルと狭く、川底が道路よりも二メートル位高い天井川(てんじょうかわ)(=両側の土地よりも川底が高い川)であり、大正一二(一九二三)年七月の氾濫(はんらん)で、周辺地域に浸水等の大被害を及ぼした。今も大谷川水防用資材置き場が残っている。
愛媛県では大谷川の浸水被害を解消するため、昭和三八年度から平成二二年度までの四八年間の長期にわたって中小河川改修事業(のちに統合流域防災事業と名称を変更)により大改修を行った。特に横田橋の周辺部は、後述するように自動車等の通行に大きな変革をもたらした。一時期町の巡回福祉バスが通って便利であったが、自家用車の普及で利用者が減り平成二〇年八月に廃止された。
大谷川の北の家並みの移り変わりを野垣(旧姓山崎)マサノさん(昭和九生)、篠崎繁一さん(昭和五生)、徳本直之さん(昭和一三生)に聞いた。
大谷川改修前の土手(平成9年)
子どもの頃には産婆(助産師)さんがいた。その後も、後継の産婆さんができて続いた。また副業の一つとして採卵目的のために養鶏をする農家もあったが、卵が安く容易に購入できるようになってから見られなくなった。左官が二軒それぞれ自営していたが、高齢となり廃業した。
昭和三〇年頃の横田北組の家並み図に示すように、終前には商店があったが戦時中の物資不足の最中で廃業した。終戦後、雑貨屋が開業した。続いてタバコ・郵便物・薬等を扱う店が開業した。その後一軒は閉店し、もう一軒は店主が交代したり、取扱品目を増やしたりして最近まで続いてきた。
改修後の土手と旧道(左)(平成11年)
終戦後、間もなく需要を見込んで製縄所(せいなわしょ)ができた。簡易なトタン葺(ぶ)きの建物ができ、周りの農家から稲わらを買い付け、近所の人を雇い、製造した縄は郡中(伊予市)の大きな縄(なわ)取扱所へ運搬するなどして昭和三八年頃まで縄をなっていた。横田以外からも若者や主婦が来ていた。
農家に七軒ぐらい菊栽培が見られた。副業で主婦の仕事として、切り花を自転車で菰(こも)(稲わらで編んだ敷物)や炭俵(すみだわら)にくるんで松山の花卉(かき)市場へ運んでいたが、すぐに伊予花卉組合集荷場ができて、業者が集荷するようになった。しかし、菊栽培は、安価な海外の花の輸入、バラ栽培への切り替え、栽培者の高齢化等により止めてしまった。また、一部スギやヒノキを育苗する農家も見られた。
改修前の横田橋(北側)橋詰め(平成7年)
昭和七年、横田大谷川改修工事後の大谷川は川底幅七メートルぐらい、両岸までの幅三〇メートルぐらい、高さは家並みの屋根より高いぐらいであった。土手の上は幅一~二メートルの道があり、土手南から通う児童の通学路になっていた。通行する人は、はるか遠くの景色を見たり民家を屋根ごと見下ろしたりできた。この土手は何よりも南北の集落の大きな障壁になって、大字を南北に分断し、互いに集落を見通すことはできなかった。南北に往来するには北組前の土手に架(か)かった三本の橋を利用した。どの橋も、大谷川の土手沿いに緩(ゆる)やかに狭い道を上って渡り、同じように下った。特に自動車は、見通しがきかず道幅が狭いために対向車があると前進も後退も離合もできず、いつも不安が付きまとった。当時、車が通行できる道は横田橋一本だけで難儀した。平成一一年の写真で見るように、横田橋完成で坂道はなく拡幅されてこれまでの難所が一直線に繋(つな)がった。横田から出合橋に抜ける交通量は急増し、横田経由で国道と高速道路へのアクセスもよくなった。
大谷川 横田橋の工事(平成10年)
何よりも地区住民にとっては、目の前の大きな障壁が除かれて、南と北の地区住民が互いに横田地区周辺の広大な景色を見渡すことができるようになった。そして北と南の集落の親近感が増し、相互交流が盛んになった。
現在の世帯数は九八戸、人口二七五人(平成二二年国勢調査)になり、昭和三五年と比較して世帯数は五割弱(三一戸)増加しているが、人口は二割弱(六五人減少)し、後継者不在による数軒の空き家ができている。
改修後の横田橋(北寄り)(平成11年)
昭和30年頃の北・南組の家並み
平成25年の北・南組の家並み
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